鬱と付き合い、これからも生きていく 僕の長い旅

鬱(うつ病)と診断され、パニック、不安障害と付き合い、向き合いながら、これからも生きていくと決めた僕の日々。

自律神経失調症、パニック、不安障害と付き合っていくことを決めた 
誰かにとってヒーローになりたいと、心に刻んだ僕の足跡
鬱体験記だったり、そのときの想いを綴るブログです。
このブログが闘い、悩んでいる方にとっても、何かの力になれれば。


二度の休職経験

こんにちは。

熱いですね〜、なんとも。

僕は去年、一昨年とこの時期に休職してるので

なんとも。

 

1度目は、新規事業部の立ち上げでした。

その時はコンサルタントとしてやっていた。

所謂転職エージェント。

 

これに加えてそのサイトの開発もやっていた。

 

火曜〜土曜勤務だったけど

月曜には他の会社様は週の始まりだ。

 

転職したい方々は土曜がメインでお会いする。

そしてその場で面談意思をもらい、提案する。

 

つまり、月曜は電話が鳴り止まなかった。

 

これだけならまだ24くらいだったから耐えられたけど

事業部の方との認識齟齬がどんどん生まれてった。

板挟み状態。

 

3名体制。

社長と、元々業界で有名だった社長。

そして僕。

とてもよくしてくれたんですけどね。

 

仕事にミスが増えた。

どんどんぼろが出て行った。

助けを求めたけど、うまく伝わらなかった。

 

確かに心配してくれていた。

でも、一度溢れた水が止まることは無かった。

 

原因不明の目眩、熱が出たようなだるさ。

そして動機と、他の人から感じる視線。

「お前のせいだ」って幻聴が聞こえてくる。

 

身に付いたはずの知識さえもどんどん忘れ

自分が好きだったものは何かも全て忘れた。

 

「勉強しなきゃ」

そして眠れなくなった。

寝ても二時間くらいで目が覚めて、再度眠ることはできなかった。

 

会社の勤怠が崩れ始め、自分の体は

自分が意図していない方向に、どんどん悪くなっていった。

時間もなくなった。

 

楽しかったはずなのに。

夢だったのに。

 

震えが止まらなくなった。

非常階段で体育座りしながら何もできないことが増えた。

 

そして診断書が出た。

 

診断書が出た後も一人暮らしの僕は

もの凄く辛かった。

これはまた別の機会に。

 

 

2度目はさくっと。

 

もともと炎上しているプロジェクトに入った。

全員で300名くらいのもの。

品質向上のためのモノだったんだけど、やることは変わり変わり。

 

一連の中の最後のプロジェクトは最初5名ほどだったんだけど

優先順位が上がり、

300名を超える各プロジェクトの中でも

30人ほどの体制になるものだった。

 

勤務地が遠いこともあり、

ドアドアで約2時間。

朝は早くて帰りは終電。

睡眠時間は1日4時間あれば良かった方。

 

もっと他に自己管理の方法もあったはずなんだけど

もう少しで完遂という時に

身内に不幸が訪れた。

 

動けなくなった。

家族は嫌いな僕が、家族が大丈夫かと不安になった。

 

最終週に、体が動かなくなった。

どうしようも無かった。

この時は一緒に仕事してる感あったから良かったんだけど

色々と複雑なものだ。

 

さぁ次は。

 

それでは。