鬱と付き合い、これからも生きていく 僕の長い旅

鬱(うつ病)と診断され、パニック、不安障害と付き合い、向き合いながら、これからも生きていくと決めた僕の日々。

自律神経失調症、パニック、不安障害と付き合っていくことを決めた 
誰かにとってヒーローになりたいと、心に刻んだ僕の足跡
鬱体験記だったり、そのときの想いを綴るブログです。
このブログが闘い、悩んでいる方にとっても、何かの力になれれば。


鬱 体験記 その13 「最愛なる母へ」

こんにちは。

色々とどうやら日付というものはリンクしているようで。

点と点を結んで線になる。

これ偶然のような必然のような・・・w

 

今回は僕の母の話で、久しぶりの体験記でもありますが

自分の中で重要なところです。

あと今週のお題「私のお母さん」も含まれます。

 

これがまた不思議で、

実は明日5/15は母の誕生日であり、

今通っている心療内科へ本格的に行きはじめた日です。

母の日は日曜か。

 

このブログを母は見ることはありませんが。

一年前の今日ちょうどから、かなり体がおかしくなってきて

動けない、眠れない、動機が止まらない、なんか怖い。

 

もう止まりませんでした。

なんとかして誤魔化そうとしても、ダメだったらしく

会社の方に「お前、なんかやばいよ」「体調大丈夫?」と言われる日々。

気づかなくても、隠そうとしていても

わかるもんなんですね。

 

この頃には何故か母に電話をよくかけていました。

本当に毎日かけてた。

一人暮らしを始めて1年ちょっとで、全く電話なんかしたことなかったのに。

 

僕は父と仲が悪く、正直かなり大嫌いで

というよりすぐに怒鳴るし怖くていつも機嫌をうかがっていました。

一時単身赴任の時は、母、妹、僕3人でリビングでテレビを見ていましたが

戻ってきてそれもなくなる。

 

それが理由で家を出たというのもあります。

だから実家に帰れない。

というか家に入れない。

実家の前まで来て、電気がついているのをみて

目の前の駐車場で大声だしながら、泣いたのも覚えています。

 

一度スタート切ったもの。

一度あふれ出したものはもう止められず、どんどん加速する精神病。

なんとか”会社に行くこと”が目的になっていた。

 

そして休職。

もう駄目だった。

動けない。

そんなときに母は助けてくれました。

 

結構ガッツリパートをしているのですが、毎晩一人暮らしの家に来てくれて

ご飯を買ってきてくれて、ドライブにも連れて行ってもらった。

 

鬱に関して必死で理解してくれました。

そして父にも休職していることを隠し通してくれた。

(母もパニック持ちだったことを知りました)

 

その後一回喧嘩をして、もう連絡しないほうがいいと言って

連絡を切ったこともありましたが、結局僕が母はいないとだめなことに気づき

泣きながら謝罪もしました。

 

平日は働き、毎朝ご飯を作り、夕ご飯をつくり

犬の散歩をし、家事をすべてこなす。

それに加えて僕のことも見てくれた。

 

書きながら泣けてきました。w

 

本当に心から、僕の母に生まれてよかったって思ってます。

昔はよく怒られましたけどね!

 

母は偉大です。

この間手術もしていましたが、経過は順調で安心。

誕生日に顔を合わせることはできなそうですが

お礼をこめて。

 

本当にありがとう。

僕が今こうして生きているのも

こうして立ち直れたことも

母のおかげです。

 

鬱のときカウンセラーの友人とか幼馴染とか母とかに

リアルなところで助けてもらいましたが

ネットで経過とか、診断されてどうなったかというページを見て

元気づけられたこともあり

実際の僕の経過や、だんだん立ち直ってきて、今悩んでいる人を救いたい

想いを共有して、ゆっくり落ち着いて生きていきたい

という想いをこめて始めたこのブログ。

 

今は何だかよくわからない主観的な考えとかメモとかになってはいますが

元はこんな想いがあり始めたブログです。

 

鬱 体験記は次回で最終です。

日付は6/5~6/6にかけてですね。

 

まぁそんな僕ですが、これからもよろしくお願いします。

あと、

お母さん、本当にありがとう。

 

しんみりした感じですが

今日は朝蕎麦をやって結構よかったので明日もやろうかなと。

 

それでは!